01 — ストーリー終わらない実験
2026年10月31日。
大人の多くは「仕事が忙しくて、やりたいことができない」と言います。
けれど、それは本当に仕方のないことなのでしょうか。
もし、やりたいこと、好きなことをすべて仕事にして、
複数個のわらじを履きながら、学生の頃のように毎日を過ごすことができたら。
...そして、そのすべての活動からお金を稼いで、豊かに生活ができたなら――。
そもそも僕がそんなことを考え始めたのは、学生時代の就職活動がきっかけでした。
50社以上の企業を受け、必死に大人の社会を覗き込みましたが、僕が「ここで働きたい」と思える会社は、ただの一つもありませんでした。
僕の目に映る会社は、どれもただ「グレー(灰色)」に見えました。
一つの会社に依存し、やりたくないことを我慢して受け入れ、趣味や好きなことを諦めていく。そんな大人の「当たり前」に対して、僕の心は強烈な違和感を拒絶反応のように示していたのです。
あのグレーな世界にどうしても染まりたくなくて、僕はそこから逃げるように、自分で起業するという道を選びました。
若くして立った、身の丈に合わない立ち位置。
一人ですべてを背負い込もうとする、過剰なまでの責任感。
全方面から逃げ場なく押し寄せる、凄まじいプレッシャー。
その重圧と戦いながら、僕は3年間、必死に会社を経営し続けました。
しかし、グレーな社会から逃げ出した先で、全方位からのプレッシャーを一人で受け止め続けた結果、心が限界を迎えてしまいました。
当時の重圧のなかで、まるで「心が骨折したようだった」と思います。
ポキリと折れてしまった心は動かすことすらできず、今度は部屋から一歩も出られない、3年間という長い暗闇の時間を過ごすことになりました。
1つのビジネスに自分の人生のすべてを賭け、それがうまくいかなくなった途端に、生きる意味さえ見失ってしまう。その危うさを、僕は身をもって痛感しました。
何より辛かったのは、そうして完全に暇になったとき、毎日をこれっぽっちも楽しめなくなってしまったことです。あんなに自由な時間があるのに、心が何も動かない。あの、毎日を楽しめなくなったときの恐怖と虚無感は、今でも忘れません。
振り返れば僕は、子どもの頃から得意なことと不得意なことが明確に分かれている人間でした。
英語はできるけれど、数学はまったくできない。音楽は大好きだけれど、音符は読めない。
日本の社会や学校は、そんな僕に「できないことを平均まで底上げしろ」と求めます。苦手なことの穴埋めに追われ、せっかくの尖った才能まで押し潰されていく。就活で感じたあの違和感も、大人になるにつれて、いつの間にか僕自身が社会の「型」に自分をハメようとして苦しんでいたからなのかもしれません。
そんな暗闇の3年間が続いたある日、「小学生の塾講師の人手が足りないから、手伝ってくれないか」と声をかけられました。
正直に言えば、最初は「小学生なんて、ただの子供じゃないか」とどこかで馬鹿にしていました。しかし、実際にそこで出会った子どもたちは、僕の想像をはるかに超えて凄まじかったのです。
彼らは、過酷な中学受験の勉強をしながら、朝は吹奏楽の練習に励み、さらに放課後はチアリーディングのキャプテンとしてチームを引っ張っていました。空いた時間があれば、夢中で絵を描いている。何一つ諦めず、やりたいことのすべてを同時に、全力で回し、命を輝かせていたのです。
彼らを見た瞬間、僕のプライドは粉々に砕け散り、同時に全ての点と点が繋がりました。
「そうだ、大人が勝手に『無理だ』『一つに絞れ』と言い訳しているだけで、人間本来のポテンシャルは、全部同時にやってのけるようにできているんだ」と気づかされたのです。
仕事は、絶対に一つじゃなきゃいけないのでしょうか。
やりたくないこと、苦手なことを、我慢してしなくてはいけないのでしょうか。
僕は、その押し付けられる大人の常識に、どうしても反抗したかったのです。
「じゃあ、大人の戦闘力を手に入れた今、あの頃の、そしてあの子たちのマルチタスクをそのまま続けたらどうなるんだろう。苦手なものは手放して、自分が100%輝ける『得意』と『好き』だけを掛け合わせて生きてやろう。50社の中に働きたい会社がないなら、自分で新しい生き方を創って、周りの言う『ダメだ』が間違いだと証明してやる」
その強烈な反抗心と、子どもたちから貰った衝撃が、骨折していた僕の心を動かす原動力になりました。
僕はまず、週に3回だけ働きながら、休みの日には地域の体育館にバスケをしに行くことから始めました。
プレッシャーに縛られず、自分のペースを保ちながら、子どもの頃のように純粋に大好きなことで日々を満たしていく。体育館の床を走るなかで、この「マルチタスクな生き方」こそが、自分の心を一番輝かせるのだと確信に変わっていきました。
それに、一つの場所に閉じこもっていたら見つからないけれど、
「じつは、自分の知らない自分を求めてくれている場所が、世界のどこかにあるのではないか?」
そう思ったのです。
すると、僕の動きに呼応するように、運命が回り始めました。
体育館でバスケを続けていた僕に、あるバスケスクールを運営されている方が「バスケットボールと英語を掛け合わせてみないか」と声をかけてくださったのです。
自分の持っている「好き」と「得意」を掛け合わせる。その挑戦が素晴らしい出会いを生み、さらにそこから「アートと英語を掛け合わせた」アートバーでの仕事にも次々と繋がっていきました。
だから僕は、もう1つの仕事に命を懸けるような生き方はしません。
やりたいことを全部やって、リスクを分散しながら、全部を遊びのように仕事にします。
もしそれができたら――。
一つの会社に依存しない。一つの技術に依存しない。
複数の打席に立ち続けることで、常に自分の技術を高め、変化し続けることができます。
商売の枠を超えて、その高めた技術を次の世代や誰かに教え、分かち合い、共に学び、高め合える仲間(コミュニティ)を作ることができます。







